貧乏な私は、まあいろいろと葛藤はしつつも、10月25日に「愛你伍佰年」(台湾版)を注文。普通アマゾンさんからは、注文ありがとねに始まって、準備できたわよだの発送完了したわよんだのと、うるさくおしらせをもらえると思ってたのになしのつぶてであったので、気を揉みましたけどもね、10月28日無事入手。この日をもって、et ma route est déjà tracée, mourir d'aimer...(Aznavour, Mourir d'aimer).
実はまだ全然聴き込んでないんです。いくばくかの曲を、ささっとチェック。非常に残念なことに、「一萬年」はあの同じライブバージョンのようです。本当は、うー様が切々と歌い上げてるバージョンを聞いてみたかったなあ。どのCD 買ったらよろしいのか情報お願いします。オカネ貯めます。
恋をするならあいちゅくバナナ~(註)にはぶっ飛びましたな。橋幸夫先生かよお。え?平尾先生も、三橋先生も?うー様ったら、日本の民謡あるいは新民謡ぐらいなものも楽々とこなされるのであろうことが察せられますな。歌わせてみたーい。秩父音頭とかどうよ?
それ以来、「浪人情歌」と「一生最愛的人」を交互にエンドレスで、夜も日もなく聴いています。なぜ交互にかは、そのうち語りましょう。「浪人情歌」は、聴けば聴くほど肺腑あるいはかつて私の尻子玉があったあたり(伍佰様に抜き取られたので現在は空虚)に沁みます。心に、なんて言うと嘘臭いです。なんかもっともっと身体的なものの分量が多くて、つまりは心だけの場合よりももっとずっとトータルな感じであるから。この感覚をうまく表現する日本語を持たない自分が歯痒い。
「一生最愛的人」の方も、実は字面が気に入ったからというだけの理由で選んだのですが、大成功ですね。自分の嗅覚(いや字面見てんだから視覚?)に自信持っちゃうわん(爆)。
CD を手元に置いて、落ち着いて好きなだけ聴いてみることができるようになり、あの晩の偶然のクリックによって受けた電撃的「打たれ」の感覚は間違っていなかったどころか、ああやっと出会えましたねあなたに。ということが決定的に確認されましたという、2011年10月28日という日はそういう日になりました。
このシリーズおわり
(註)橋幸夫先生の「恋をするなら」は、私の血縁の者が幼児である頃の大ヒット曲であり、
こーいを~しゅるうならあ~あいちゅくばーななぁ~
と、回らぬ舌で歌い踊っておったものであるよ・・・というほのぼのエピソードがね、家庭内限定で流布しておるのです。覚えてもいない本人は、言われて非常に嫌がっているわ、あいちゅくバナナのキーワードに反応する人間は、おそらくこの世で5人を超えることはないであろうという。はは。
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