2012年1月28日土曜日

中級中国語!

きのう、「書き取りでしっかり身につく中級中国語」が到着。これが本当によいのかなどはわからんですな。アマゾンさんに用事があったのでついでに頼んじゃった。内容がどれだけよいかどうかなどは、本気で手をつけてみないとわからないことではあるが、一点私が高く評価しているところがあるのだ。それは「書き取りをせよ」というこの学習方針ね。実は明明と小黒を買う前に手に取ってみたことがあるというかさんざん何度も手に取ったわけだが、「書き取りをせよ」というそこだけ覚えていて、そうだ、そうだよね?!と激しく共感し、自分もずっとそうやってきた、と。ま「上海」が終わってからにしようと思ってるから、まだ当分先の話だね。

これまたきのう。わはは、地球の歩き方の台北バージョンを衝動買いしてきたりしたわん。ほー、伍佰&China Blue 結成20周年記念世界大ツアーの皮切りは6月の台北ざますか(やな季節だねえ)、へーほー、というそのせいですね。まあ、全くの不可能でもないけどねえ、ブツブツ。まあとりあえずは妄想に留まる。

2012年1月23日月曜日

我愛你・・・

気がつくと、私は北朝鮮にいるのでした。何故だ?

別に虜囚になってとかそういうんではなく、なんらかの特殊技能者として丁重な扱いを受けている感じ。足を踏み入れた場所は、大きい学食とか社食みたいな場所。たくさんの人がいました。足を踏み入れた瞬間に耳を打つ大音声それは、

我愛你 我心已屬於你 今生今世不移~

という、ホレあのアレ・・・。その場の人々が大合唱してたんですね。当然ですが、わたくしも即座に拳を振り上げつつ参加いたしましたとも。その食堂内には、A 定食 B 定食みたいに選択ができるようになっておるらしき、そして大変結構な豪華なお料理たちが立ち並んでおりました。

これはなに、一体全体???なにゆえ北朝鮮でなにゆえ中国語で我愛你なわけ?2連勤しかも遅出&不便地への普通出でただでさえ短い睡眠時間なのに、ちーとも眠れなかったので、ノー味噌に焼きが回ったんでしょうか?

しかしな、我が初中国語夢、ですな。

2012年1月19日木曜日

明明と小黒・2周しましたわ

ゆうべの段階で、明明と小黒の2巡めが終わり。っても、ブリッジ編は吹っ飛ばしたままズルしてますけど。それに、第40課ぐらいからが全然定着してなーい。このあとは、目をつけている「中級」を謳った本があるんだけど、多分全然歯が立たないと思われるので、「ときめきの上海」をしょーがない、舐めるようにやりましょうという決意を新たに。

温又柔さん

温又柔(おん・ゆうじゅう/Wen Yuju)さんという方を発見、単行本「来福の家」読了。

「台湾」というキーワードで引っかかってくる本を、手当たり次第に読んでみたりしているのだけど、読んでも読んでもというか、読めば読むほどというか、わからんですね台湾。まあ中国だってもっとわからんけど。

温又柔さんのこの本に至って、おおやっと、私の探していた切り口で書いてあるものに巡り会ったのではありますが。残念なことに、この方はニホン国在住かつお歳が若すぎて。彼女の母上とか祖母上がこういう本を書いていてくださったんだったらなあ。

史上最強! 成軍20週年的搖滾樂團蒙眼演奏"痛哭的人"

をば、拝見してみたのですけれど。
http://www.youtube.com/watch?v=Rq9BbqhOZ0E&feature=context&context=C366e0dfUDOEgsToPDskIPdttwq19PM22uprKuit3u

私個人的には、別に史上最強とは思えません。テンポがわずかに速すぎる。歌い方が軽すぎる。この曲は、こんなにさらっと歌っていただいては困るのです。例によって肝心カナメな部分をお客に歌わせてるし(憤)。

目隠し歌唱、ですか。Youtube 画面においてはなんだかよくわからないし、またなにゆえそのような運びとなったのか、文脈を知らんですからね私は。この場合、伍佰様ソロで、アンプラグドで、舞台中央でイスに座って、切々と目隠し歌唱してくださったらよかったのにー。とか、妄想する。すんまへんね、勝手な妄想垂れ流して。文脈を知らんもんですからね。

2012年1月17日火曜日

虫が好くとしか

土日の出動は、自分的にちいと面倒なネタであったため、その数日前から一杯一杯になっていたのではあるが、その間ももちろん「伍佰年」と共にあったりしたわけなのだった。

昨今は disk 3 がブーム中。一曲めが「真世界」であり、これは

ずどどずどどずどど~♫♥

と賑々しく始まるわけなので、めざましタイマー用に最適であったりする。ふふ。どうしても、好きである度の多少の違いは出てしまうものの、よいわあ disk 3 も。「痛哭的人」など、もうどうしてよいやらわからんぐらいに好きですねえ。

伍佰節たち、私はどうしてこうまで好きなのでしょう。ナンデドウシテを考えても、時に『・・・多分××だから、だろうか?』なんて、解答あるいはこじつけ理由の片鱗が見えるような気がすることもあるけど、それもなんか浅薄ですね、後付けのこじつけだ。それに、見えたような気がしても、またあっという間に曖昧模糊に戻る。言語能力が及ばないという以前に、自分でもようわからんのです状態。好きなもんは好き、あるいは虫が好くのですとでも言うしかない。

ったくまあ。私のかくまで好きである歌たちを作り、私のかくまで好きである声で歌うという人が、ほんのほんのおとなりに存在したのだ。私はその存在をかけらほども疑わぬままで、ほぼ同時代をすれ違って生きてきてしまったのだ。ほんのすぐそこにおいでになったのにねえ。

2012年1月16日月曜日

・・・わ、忘れましたな(汗)

なんということでせう。この土日は連勤にての出動であったため、伍佰様ご生誕記念日をお祝いするのをすーかり忘れてましたわ。なんちゅうこってせうか。うー。

2012年1月10日火曜日

ときめきの上海(その7)

えっとお・・・。あのお、いくらなんでもですねえ、出張ついでに立ち寄ったタカハシ君と、田村嬢がぺーらぺらぺらとぷーとんふあで会話するってのはあり得なさすぎです。中国朋友2名様と同席中は中国語で通すというのは、ある意味礼儀にかなっております、かなっておりすぎであるかもしれません。かなっておりすぎたとしても、うっかりこぼれ落ちる日本語、みたいな瞬間は必ずあるであろうのにさ。

しかし、他に誰もいなくなってから、早く帰国しておくれ、東京だったらしょっちゅう会えるぢゃあないか♥みたいなビミョーな用件をですねえ。あり得ない。ニホン人をやめたとかいうなら話は別だけど。あるいは、某外国語大学みたいなところ出身のエリート同士だったとすると、そういうようなこともあり得るのか?いや私は信じませんけど。

2012年1月9日月曜日

Wu Bai canta en 台語?

Isabel Aznavour Canta en Espagñol なーんて珍品(でもないか?)を所有してたりすんですよ。他にはよく知らんけども、彼は当然のように英語でも歌ってますね。Piaf もねえ。

どうしても、当該言語特有のリズムなどはあるわけなので、風味の違いは多少なりとも出てしまうけども、基本的にはいつも通りな感じの歌であると思う。『本来の!』おふらんす語による歌唱の方こそが真骨頂だわっとか思うのは、まあ習慣の問題であるかもしれないし、私の勝手っていうとこでしょうかね。

それが、伍佰様の場合になりますと。「愛你伍佰年」しか持ってないことだし、彼の台語歌について語れるほどの知識もないのですが、僭越はお許しを。かの王育徳先生によりますと、普通語と台語は、似たようなもん(???)とは言え、英語とドイツ語ぐらいの違いはある、んだそうであります。てえと、Aznavour chante en français VS canta en español の関係とちょい似た感じではなかろうかと思われる。

しかし。伍佰様は、ご自分のお作たちを国語⇔台語という歌い方はなされていないのではないでしょうか。未確認だけど。全編国語歌唱アルバムの台語カバー版!とかいうものを発売されたりはなさっていないように思われます。その逆もまた(未確認だけど)。伍佰様の場合、作品たちがほとんど自家製であるわけなので、種々のしちめんどくさい権利関係も生じないあるいはもっと単純で済むでありましょうのに。台語マーケットはあまりに小さいのでそーゆー手間ヒマかけるのはちょっと・・・みたいな、イロケない、もとい実利的理由もあるかもしんないけどね。

それどころか、国語歌と台語歌では、曲想からリズムから発声まであれまー!と驚くほど違っちゃってんですよね。ま、私すべてを網羅するには全然遠いところにいるので、たとえば「返去故郷」とかそのへんしかアタマにないですけど。国語歌たちとの落差にひっじょうに驚いたー。全くの別人格みたいに。

どういうわけなんでしょうね。伍佰様にとっては、国語(最近「台灣華語」というのがついに正式名称になったというのは本当なりや???)と台語とは、そこまでべつもん、なんだろか?「浪人情歌」の台語版とか、聴いてみたい気がするんですけどね。

2012年1月8日日曜日

ときめきの上海(その6)

あんましはかどってませーん。なんかねえ、お得な耳寄り情報などが満載で大変によい本であるとは思うんだけど、ちめちめと地道におべんきょうしようという気を起こさせないんですねこの本は。ということで、ちめちめしたい方には明明と小黒の方をおすすめ。

その反面、なぜだか「上海」の方は、ダイアログをでっかい声でリピートしたいという気にさせるのであります。これは田村嬢の元気に引きずられてんのかなあ。刘欣欣嬢も江旭青年も张大爷も、結構口の中でもごもご系で滑舌はあまりよくないのにね。しかし地道に暗記しようとかいう気にはなれないー。

それにしても。全くの完全初心者が「上海」を買って来ていざ!てなことになったら、なーんか高確率で挫折しそうだなあ。というか、自分だったらとっととお蔵入りだったろうなあ。単に単に、田舎の本屋さんが気まぐれで仕入れてくれて、それに自分が目を向けたというだけの偶然だったんだけど、明明と小黒にはじめに出会えたのは幸運だったような気がする。しかしな、仕入れがリピートされることはない模様である。よその小規模書店でもまず見かけない。惜しいことです。

玻璃鞋

ヤン・ユアン 鄭媛、「ガラスの靴 玻璃鞋」を読了。うー、濃いわ~台湾も。

鄭媛さんという方、Cheng, Yuan とアルファベット表記してあるんだが、それをどうやったら「ヤン」になるんだか、訳者の和泉裕子先生にお伺いしてみたいもんだけど。翁儀玲 Silla Ong, Silla Weng, 台語読みと普通語読み?なんだろか。

しかしまあ、この大変に濃いロマンス小説世界の、全部が全部漢字で書かれているのかと思ったらメマイがしますな。えーここのこんなところ、原文ではどう書いてあんのかなー?などとは、思ったりするのは翻訳小説にはつきものなんだけどもねえ。字のひと粒ひと粒を字引引かなきゃ発音すらできない現段階では、まーやめといたがいいわねえ。やる気も起きんけど。

そしてわらべ歌も、ひっじょうに難物であることが判明しつつあります。自分にガッカリ、だよ。

2012年1月6日金曜日

歌ってくれたらいいのに

もうおとといになるか。ゆきよさん(仮名)と急遽エンカイという運びになったため、都会地の大規模書店を3軒ハシゴする。どっこにも樋口本のCDを在庫してないというのは一体どういうことよ?迷った末、結局台語本はなにひとつ買えなかった。まあね、現時点で始めてもどうにもなんないであろうのでかえってよかった、のかもしれないけど。

買ってきたのは、王洒珍・川崎将夫「わらべ歌でまなぶ中国語」(連合出版 2008)。いやもう、こりゃあいいやー!と大喜びだったわけなんだが・・・帰ってきてよくよく見たら、なんということだ、2曲を除いてすべて朗読だったのだ。がっかり。几帳面にも全曲に楽譜つけてくれているんだが、つけてくんなくていいから歌って~などと思う。録音音質もよろしくないんだが、まあなあ。歌ってくれると大変覚えやすい反面、声調は一足飛びにはアタマに入らないという難点もあるからな。これはこれでいいのかも。ゆっくりかつちょいオーバーに発音してくれてますから、字を覚えるにゃよろしいかも。ひとつひとつが超短いのが特にステキ。

先日衝動買いしてきた昔話本とは、陳淑梅「中国語で読む日本と中国のむかし話」(株式会社アルク 2011)。これもねえ、発見したときは、こりゃあいいやあ!と小躍りしたんだったがね。朗読の声があまり好きになれない、そして一話が長すぎるー。これで長いとはいったいどんだけ根気ないんだ?と、みなみな様からはお叱りを頂戴しそうであるが。寄る年波なのよう、許して。

年を取って、おそらく妙な浅知恵・浅知識などはついてきてるよね。学習上、それはひとつの武器とならなくもない。その反面、根気とか、いや単に体力が落ちたということなんだろうね、長続きしないのは。ちょっと難しいことにぶつかると、とっととあきらめて目を背けようとするしなあ。こと現代語の学習においては、要するに虚仮の一念だけですよ重要なのは。いかに多数の脳細胞が死滅してしまっていようと、ノー味噌が腐れかけていようとも、自分なりに定着するまで時間をかけ反復しさえすれば、なにがしかのものは必ず覚えます。

それをねえ。わーんわーん、こんなに時間をかけてもなにひとつ定着させられない自分はこんなにバカだったのかああ!とかね、嘆いたり恥じたりして嫌んなっちゃうというのは、要はジブンハカホドマデバカデアルハズガナイノニィとか思ってるから、なんだと思う。わたくしは亀の甲より年の功をば積みましてねえ、分別もでき知能も低くはないのですいんてりげんちゃんなんですのよ。なのになのに、なにゆえ当該言語においてはいつまでたってもカタコト状態、あるいは丸覚えした例文を外れて「自分の言いたいこと」を言いたいように言うことができず、知能教養程度にそぐわない幼稚な言語表現しかできないんでしょうかあああ?

・・・みたいな?

余計なこと言ってないで、おお、定着してないということはかける時間あるいは努力が単に不足だったのですね、と。当該外国語による言語手段が限られているというのは、よくよく考えてみなくたってあったりまえの真ん中である、と。ええもう、淡々と反復あるのみ。それこそが王道。ワカッチャいるんですけども、その虚仮の一念を貫き通せないのが凡人というやつですね。

2012年1月4日水曜日

冬空が

お好き、なのですか。台湾にはあーんまりないかもしれんが、ニホン国にはそういうものは売るほどございます。是非またのお越しを。愛你♥♥♥

2012年1月1日日曜日

謹賀新年

ライブ、どうだったんでしょうねえ。さすが、ご近所とはいえ海を隔てておるだけのことはありますね。「年忘れにっぽんの歌」みたいにテレビで中継してくれたらいいんだけどそうもいかない。私は引きずる疲れがいまだとれないまま、しかも酔っ払ってしまいましてワケわかんなくなってます。

ライブの味見すらできないのは悲しいがしょうがないけど、今朝つまりは新年はしっかりと、すーすーりゃんりゃんで起こしていただきましたのでー。

「息苦しさ」てなエントリーをいたしました。
http://jutorikottou-yiwanwubainian.blogspot.com/2011/12/blog-post_30.html
読み返してみたら、まあてんでワケわかんないですね。すんませんです。当該曲が、ものすごくすごおおおく気に入ったとして、意味を知りたいとか一緒に歌いたいとかいう気持ちが湧き起こるのはごく自然なことかと思います。ところが使用されている言語が自分にとって完全に不透明であるというような事態は結構ある。その場合、当該楽曲が好きであればあるほどつらい、苦しいのですね。

わああこの曲いいな、好きだなああ~という気持ち、そして愛するこの曲は聴きまくるのでインプットが大変に過剰となる。しかし使用言語が自分にとって不透明である場合、過剰にインプットされたそのそれの、出口がないというわけなんですね。私、今までは幸いにして、英語おふらんす語日本語以外のものをそれほどまでには愛好してこなかったので、まーさー、英語の場合は大変に苦しいわけなんだけども、方策がないわけじゃあないし。いたりあ語すぺいん語の場合は、(そう愛してはおらぬが)結構猿真似が可能であったりもするしね。Ardiente amor, へへっ。

それが、Faudel の El Baïda Mon Amour の場合、コレは彼的にはとてつもない新境地を切り拓いてくれたわけであり、まあそりゃもう惑溺を誘ううつくしさ、なわけなんだけども。あまりのうつくしさ、に、気が触れたように聴きまくってましてね。その当時は自覚症状がなかったわけなんだけども、ほとんど潜水状態になっていたらしい。さ、酸素、酸素をくれえええ。爆発するかのように、コンビニで「甲斐バンドベスト」を手当たり次第買い、昔なじんだ曲による日本語アウトプットに走らねばどうしようもなかった。で、その後もちと食傷気味になってしまい、遠ざかっていたのね。わたくしのその心の隙間を突然嵐のように、一切の間隙をも残さず埋めておしまいになったのが伍佰様なんだわよねー。

しかし、だ。あらびあ語アルジェリア方言よりも遥かに遥かにましであるとはいえ、そして字面を見さえすれば意味は半透明もしくは半々透明ぐらいになるとはいえ、学習の成果(イヒヒ)ゆえかところどころ聞き取れるものがあったりするとはいえ、伍佰様もやっぱり息苦しいところがあるに変わりはないわけで。

しょーがないよねえ。おべんきょうに励みまする。明明と小黒をアタマから復習してますわ。