もうおとといになるか。ゆきよさん(仮名)と急遽エンカイという運びになったため、都会地の大規模書店を3軒ハシゴする。どっこにも樋口本のCDを在庫してないというのは一体どういうことよ?迷った末、結局台語本はなにひとつ買えなかった。まあね、現時点で始めてもどうにもなんないであろうのでかえってよかった、のかもしれないけど。
買ってきたのは、王洒珍・川崎将夫「わらべ歌でまなぶ中国語」(連合出版 2008)。いやもう、こりゃあいいやー!と大喜びだったわけなんだが・・・帰ってきてよくよく見たら、なんということだ、2曲を除いてすべて朗読だったのだ。がっかり。几帳面にも全曲に楽譜つけてくれているんだが、つけてくんなくていいから歌って~などと思う。録音音質もよろしくないんだが、まあなあ。歌ってくれると大変覚えやすい反面、声調は一足飛びにはアタマに入らないという難点もあるからな。これはこれでいいのかも。ゆっくりかつちょいオーバーに発音してくれてますから、字を覚えるにゃよろしいかも。ひとつひとつが超短いのが特にステキ。
先日衝動買いしてきた昔話本とは、陳淑梅「中国語で読む日本と中国のむかし話」(株式会社アルク 2011)。これもねえ、発見したときは、こりゃあいいやあ!と小躍りしたんだったがね。朗読の声があまり好きになれない、そして一話が長すぎるー。これで長いとはいったいどんだけ根気ないんだ?と、みなみな様からはお叱りを頂戴しそうであるが。寄る年波なのよう、許して。
年を取って、おそらく妙な浅知恵・浅知識などはついてきてるよね。学習上、それはひとつの武器とならなくもない。その反面、根気とか、いや単に体力が落ちたということなんだろうね、長続きしないのは。ちょっと難しいことにぶつかると、とっととあきらめて目を背けようとするしなあ。こと現代語の学習においては、要するに虚仮の一念だけですよ重要なのは。いかに多数の脳細胞が死滅してしまっていようと、ノー味噌が腐れかけていようとも、自分なりに定着するまで時間をかけ反復しさえすれば、なにがしかのものは必ず覚えます。
それをねえ。わーんわーん、こんなに時間をかけてもなにひとつ定着させられない自分はこんなにバカだったのかああ!とかね、嘆いたり恥じたりして嫌んなっちゃうというのは、要はジブンハカホドマデバカデアルハズガナイノニィとか思ってるから、なんだと思う。わたくしは亀の甲より年の功をば積みましてねえ、分別もでき知能も低くはないのですいんてりげんちゃんなんですのよ。なのになのに、なにゆえ当該言語においてはいつまでたってもカタコト状態、あるいは丸覚えした例文を外れて「自分の言いたいこと」を言いたいように言うことができず、知能教養程度にそぐわない幼稚な言語表現しかできないんでしょうかあああ?
・・・みたいな?
余計なこと言ってないで、おお、定着してないということはかける時間あるいは努力が単に不足だったのですね、と。当該外国語による言語手段が限られているというのは、よくよく考えてみなくたってあったりまえの真ん中である、と。ええもう、淡々と反復あるのみ。それこそが王道。ワカッチャいるんですけども、その虚仮の一念を貫き通せないのが凡人というやつですね。
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