2011年11月30日水曜日

佰面人?

悲しくも、ナマ伍佰様にお目もじしたことはまだなく、というか生涯叶わぬままである可能性の方が大であるわけですが。

いやー、ネットは凄いですな。たまさかテレビだの新聞雑誌だの、あるいは(ゴーストライターが書いた?)タレント本などで垣間見ることができてどきどき・・・という方が、いまだに常態に思えるというね、感覚的になんかまだついて行けてなーいんですけどね。貧乏人の味方 Youtube 様だの、そこらへんポチっとするだけで静止画・動画・音声ファイルにご本人の文章やら他人様の文章やらが、山ほどやたらに見放題。見放題、だけど、聞いてわからず眺めて読めないけどね。はは。

ま、そういうわけで、さまざまな時代のさまざまな文脈における伍佰様のお姿をば拝見することが、非常に容易であるわけなのだが、んまーこれほど姿かたちがさまざま変化する『芸能人』というのも珍しいのでは?

あるときはつんく=上沼恵美子、あるときは間寛平(←Youtube をしょっちゅう眺めておいでの方には激しく頷いていただけることでしょう)、CD ジャケット並べて眺めただけだって、デビューアルバムとその次の「浪人情歌」では別人49号ぐらいに見えるし。

なにがなしさみしげな表情{気になるわ♥}の、肉の薄い身体をした若い男であった頃のお写真を、どっから取ってきたかも忘れちゃったんだけどデスクトップに貼り付けて、日々愛でておりますわ。「浪人情歌」を創唱なさったころのお姿はこんなであったろうか?と想像するから。

ライブ動画など拝見してても、おおお、歩んでゆかれる後姿の、モモがフトモモが内モモがああああ・・・ぜぇぜぇ てなお姿の時もあれば、精悍にキメておいでのこともあり。なんか一時期などは、内面に渦巻いているものを表出しきれてないのだろうか?などと思わせる、どことなく鬱屈したような顔つきをしておいでだったりもした。昨今はやけに突き抜けちゃったみたいな感じに見えたりもしますよね。

隻面人どころじゃないよー、佰面いや伍佰面人だよう。うぬっ、俗人ならぬ、さては魑魅魍魎のなにやら神仙のたぐいなのかっ?いやー、近場の移動にはきんと雲がべんりですよね~とか言われても驚かんぞ。

私としてはただひとつ:体重の増減が、非常に激しい体質でおいでのように思えます。それは負担が大な体質であるということでありましょうから、くれぐれもお身体おいといくださいますように。

2011年11月27日日曜日

アタマ来た

疲労のあまりへろんへろんになっているわけですが。なのにね、あなた様の歌声が、始終脳裡で鳴っているわけです。止んだと思へばまた鳴ってる。こんなにへろんへろんになってるっていうのに。

だんだん腹が立ってくるのであった。あなたは一体何者なの?自力コントロールできない状況というものはなべて気に食わん人間たるこの私の身の上に、なんでどうしてどうやって、かほどの力を及ぼすの?

2011年11月24日木曜日

花村萬月を

うー様はお読みになるべきかと存じます。「青春音楽小説」シリーズでもよし、ハードブルースな方でもよし。中国語訳はまだ出てないのかな、激しく残念ですね。ええと20年がとこ待っていただけたら、あたくしひとつがんばらしていただきますけど(爆)。

2011年11月23日水曜日

衝衝衝

「つぶての歌吉」を映画化しましょう、そしてエンドロールに決定!北村豊晴監督、いかがなものでしょう?

おやすみタイマーに向かない男

昨今は、なんだかあんまりよく眠れません。どうしてかわかりませんが。中国語学習テープ(爆)をかけ流してなんとか入眠しようとして、うまくいくこともいかないこともあります。

学習ネタにちと飽きたので、ごく最近には Journey やら新井英一さんやらに登場していただいたりして。そう、CD プレイヤーにおやすみタイマーがついてることを思い出したから。今頃ね(笑)。うー様は、かけなかった。入眠用に使用して途中で寝たりしたらもーしわけないじゃない!って思ったから。しかし、寝る前にうー様を欲することだってあるじゃないの。

ということで、小説読了に伴い解禁を迎えた「伍佰年」の disk2 に登場していただきました。ふた晩連続で。

いかんな。これはいかん。どうにもこれはいかん。

そうなの、すっごい真剣に聴き入っちゃって。ふと気づくと、仰臥姿勢のままがちんがちんに全身力入ってんの(笑)。うー様と一緒にひとライブおこなっちゃったー的興奮状態で、目はらんらんギラギラになっておる中、CD が最後まで回ってしまい、無情にも、つーきゅるきゅるかちゃって言って止まる音が聞こえるの。そのままずっとらんらんギラギラなの。どうよこの本末転倒ぶりは。

伍佰様、あなたっておやすみタイマーには向かない男だわ。

2011年11月22日火曜日

納得してません(挪威的)

「挪威的森林」は、聴くたびに引き込まれていくような気がする。今やがっぷりと掴まれてしまった感があります。

それでも、どうしてもどうしても、小説世界内にあの音は鳴ってない。そもそもあの音を鳴らすことのできる男であったなら、私はとっくにワタナベ君に惚れているはずだもん。曲を聴き返すたびに伍佰様には惚れ直してるけど、毎回同時に引き裂かれるような気がする。曲に掴み取られて引きずられつつも、違う、違うーーー!って抵抗してて、没頭できないよ。

急に思いついたんだけど、もしかして「ノルウェイ」を中国語訳で読むと、ワタナベ君はあの音を出す男なんだろうか?私が自分で検証できるようになるには、まー今後10年がとこはかかるであろうと思われるので、抵抗すんのとりあえずあきらめちゃってもいいのかもしれない。

無駄な抵抗してないで、早いとこ明明と小黒を終わらせろ・・・と、いう説もある。はー。

浮気もしてます

ええもう、しっかりと。と言っても、きっかけはうー様なんですけどね。

適当なキーワードを入れちゃあ、Youtube において伍佰様を検索。いろいろと思いもよらぬものが出てきたりします。お見本の画面とタイトルの字面だけ見ては、おいしそうなあたりを適宜クリックする。とーてもおいしそうな字面がね、あったんですよ。

「流浪歌手的情人」だってー♥♥♥

喜び勇んでポチっとしますとね、な、なんだこの異様な状況は?そう、動画画面においてあんにゅいにキメておいでになるのはまさしく伍佰様であるのに、聞こえてくるなかなかによろしい曲の歌声が別人ではないか!誰かがコメントしてましたがね、その人の言うとおりです全く。歌と画面は全く無関係なのに、妙にぴったりと適合してんの。オドロキです。ま、私としては伍佰様ご本人がコレ歌ったらいかばかりよろしいかと思い、あーん歌って歌って~と思いますですが。

動画内で歌っておいでなのは、大陸の老狼さんというお方でありました。うー様よりも、も少し甘っとろい風味ですがね、これはこれでなかなか。聴くほどによろしくなってくるよなー・・・とか、道を歩きつつ追憶に浸ってたら思いついた。そうこれ(というかこの方)、

ありし日のポプコン風味

なんだよね。私の好みの風味。

ルフラン

庄野真代さんが、何を探してひとつずつのぼるアレではなくて。

最初に「愛你一萬年」で思ったことですが。本邦においては、歌の歌詞というものはたいていの場合、一番二番三番・・・というシステムになっており、その全体をもって物語が進行したり、概念が徐々に説明されたりしていくようになっています。と、思うんだけど?不完全形で、サビかどっかでちびっとだけ変化をつけられている場合なんかもありますけど。

本家「時の過ぎゆくままに」も、当然ながら一番と二番になっているわけですよね。それが「一萬年」においては、アラどうしたことでしょう、全くおんなじことを2回繰り返してる?!一種異様の感に打たれますな。中国語だと、同じ音節数内に入れられる情報量がやたらに多い=ネタに困るとか、メロディーに乗せる、あんど声調も考慮に入れずばなるめえ=膨大な手間がかかるからとか、なーんか事情でもあんのかしらね?他にも繰り返してる曲たくさんあるよねえ。どういうわけなんだろ。

2011年11月21日月曜日

納得できぬような気が(挪威的)

小説を読了後に、初めて意識して「挪威的森林」を聴いてみた。つーのは、知らずにYoutube でクリックしてしまい、おお滅びゆかむとする自然を(以下略)なお歌なのか?とか、大ズレにズレて赤面だったという事件があったからね。

例によっての伍佰節ですね。非常に『らしい』!です。よい曲です。だけど・・・。

現在の私にとっては、我が身体に非常に心地よい声でもって歌われている、だけどほぼ完全なる器楽曲(悲)なわけです。意味情報ゼロに等しい(註)。そんな状態で云々するのは間違いなのでしょう多分。それでも。

もし仮に、この曲が小説へのオマージュであるとか、小説世界にインスパイアされて作られたものであるとかするしたら、というか現在の私は『多分そうなんだろう』と思っているわけなのだけど。いや、あの小説世界にああいう音は鳴ってない、としか思えないんだけど?

しーかたがないので{くろやぎさんにおーてがみかーいてしつもんできたらいいんだけどな、無理だからね、私はhachinoji7 さんじゃないからね}、歌詞をプリントアウトしてみた。眺めた。わからん(哀)。字引を引いたとて、構文は全然取れないので無駄な気がするよお?とか、始める前からやる気喪失してますけど。

なにも知らずに、ただ普通に伍佰節として出会っていた方が幸せであったような。
この一文、非常に重要だかんね、太字にして下線引いといたよ。これを言うなら、まず最初に語るべき曲、ホレあのアレが!



(註)”に~”とか”な~り”などが、なまじっか聞き取れてしまうあたりが、むしろ悲しい。

星は何でも知っている

と、いうよりは。「星影のワルツ」の方を歌っていただきたいよなあとか勝手に思います。ぶるーじぃな感じで。切々と。朗々と。

2011年11月20日日曜日

ノルウェイの森

ゆうべ、就寝前にひっそりと読了。フクザツな気持ちですな。きのうも今日も出動しましたのでへろへろ、故に詳しくはのちほどね。いつかわかりませんが。これで心置きなく「愛你伍佰年」の disk2 を聴くことができることとなったのはめでたい。か。

2011年11月19日土曜日

饅頭が

お好き、なのでしょうか?蕎麦饅頭でもふかして差し上げたいです・・・。

あの吸血鬼コートはなかなかよくお似合いになりまする。個人的には肩先に散っているラメがなかったらもっとよいですが。

2011年11月18日金曜日

畏れ多いのですが

コノ道における大々先達であらせられるところの hachinoji7さんが、11月18日付けのエントリー(でも前日の分であるそう)(「伍佰さんとコート」)で、うー様のコート姿萌~♥について語っておいでになります。

実は私もゆうべコート萌~♥♥になってしまっていたのでつい。偶然ですわね、うふ。hachinoji7さんには言及するだに畏れ多いのではありますが。

ただ、同じくコート萌♥っても、流派は違っていたようです。私の萌~は、むしろ

志明與春嬌(五月天 with 伍佰)(台客LIVE)
http://www.youtube.com/watch?v=JWiDfXfH0sI&feature=player_embedded

ですわ。わたくしに言わせるとですね、皮革とか、かっちりした厚地モード系はダメですお似合いになりませぬ。身体に沿って動くぴろぴろのひとえ物、中で身体が自由に動くぐらいのオーバーサイズ、当然ロング丈。前は開けたままで後ろにたなびかせつつ歩いて戴きたいの。

そしてうー様、確かにお色白ではあるものの、というかかえってそれゆえに、ベージュ系?バーバリー系?は嫌でございます。ここはもう、カーキです、軍用コートですそれに尽きますわ。それも綿入れ(???)じゃなくて、ぴろぴろひとえ物スリーシーズン用(???)っ。べろんだらんって前を開けたまんまで(あ、寒かったら閉じてもらってもよいのよ)、ポケットに手を突っ込んで、風が飄~と吹く中、ちょっと俯いてひとり立ち尽くして欲しいの。コートも飄~ってうしろになびくのー。はは、こんだけでこの妄想の元ネタを当てることのできたアナタ(んな人いるのか?)は偉いわ。

2011年11月17日木曜日

ついでだし

まず最初に "polyphonie" だ、って思ったんだった。でもこの言葉は、言語学で言う意味と音楽で言うのとは意味が違うのかもしれない?ので、慎重にならねば。

"omniprésence" てのも思った。

うーん。伍佰様の場合は、意味が二重?意味が双方向?であるところが、言語化を複雑困難にしてるよねー。

Tu es partout...

Tu es partout car tu es dans mon coeur (Damia)

非常に手前勝手なる覚書きですみません。伍佰様的キーワード(フレーズ?)のうちのひとつ、と自分では思ってるんだけど。

2011年11月16日水曜日

2004年で止まっていては

・・・いけないよね。

と、思い、向かうは貧乏人の友 Youtube 也。やはり最新アルバムからかしら?と、例によってあてずっぽうに「戒指」をクリック。そして衝撃に襲われる。なんということだ。

けっ、コレ一体何番煎じ?またこのパターン?飽きたぞ?

非常に伍佰様らしき詞的世界およびメロディーラインだったわけなのだけど、かようにか、か、身体が受け付けませーん状態になってしまったのだった。あーあ半月ばかりの戀なのにーあーあケッコンユビワはどーするのー?(←中条きよし先生で歌ってください)

私もまた大変に移り気な人間ではありますものの、半月ちうのは最短記録です。このへんの我ながらのメカニズムは少々解明されつつありまして、でもあんまりに身も蓋もないので言語化をためらっていたりします。うーそのうち言います。それにしてもなあ。

それはもしかして、字面だけ見てどういうものでしょうとワクワクしていたらば、なんということだ、一体なぜ今のあなた様が唐突に新沼謙治しなくちゃならないんですかっという勝手な不条理感であるのか、はたまたクリップの相手役のおねいさんへの理由なき反感なのか、あるいはまあホントに私の戀は終了し飽きちまったのかわかりませんがね。

と、ささくれ波立った神経のままに、ゆうべは Journey のベスト盤を久しぶりに取り出してみた。買った当時は Separate Ways な世界のみを期待していたため、うわー他の曲、全部が全部ゴミー!と思い、Separate Ways だけ切り抜いてあと捨てたーいと思ったんだった。が、なぜか非常によろしいものだわあと思えるではないですか。英語ですのでほぼ器楽曲状態ですけど(爆)。なぜこんなによろしいものをゴミだとか言って罵ったのでしょう昔の私は?

そんな一夜が明けて。ふたたび「戒指」にチャレンジしてみますと、あーよかった。素直に非常にいい曲でした。どうしちゃってたんでしょうゆうべの私は?いかんな、ちゃんとCD買わねば。12月に仕事がたくさん入ることを祈りましょう。

2011年11月14日月曜日

愛だけでは

きのうは一日仕事に出ました。

さすがに出て行く時の恐怖心は少々薄らいだというかマシになったというか、感覚が鈍磨したというのか楽になってきはしたけど、代わりに昨今は、帰ってきてからいつまでも激しく動揺してるような気がする。疲労しきっているくせに眠れない。Faudel のEl Beïda Mon Amour で踊り狂ったりしていたものですが、ゆうべは全然だめ。

なんか、とてつもなく激しくベタにザラザラに濃くてエグいものが聴きたい!

Separate Ways みたいなものでもいいような気(ダメなような気=エグさが足んない気。へん、所詮は西洋)もしたけど、アルバム中の他の全曲がダメなので却下。パーになってる頭で、手持ちになにがあったっけかと必死で探ってみてもピンと来ない。こんなんでもいいかも?と思える人・曲はいくつか思いつくんだけど、一曲だけじゃだめなんだー。ベタにザラザラに濃くてエグい流れに、この動揺を解きほぐされつついつしか入眠したいんだから。少なくとも数十分続くコンピレーションのようなものでなくては。若き日の谷村新司!みたいんでもいいんだけど、ハテ、カセットテープ(爆)はどこへ紛れたものやら。そしてエグくなーい曲も当然混じってしまっているのでダメだ。

もうヤケだ、いっそ1,2,3, Soleil 行っちゃう?却下。今現在私の身体が欲しているベタザラ濃エグは、アラブなそれではどうもない。もう秋ですし、ね。

ああああああー!私はなぜディック・カウボーイさん(発音できもせぬ漢字なのでこれで失礼)のCDを持っていないんだあああああー!

仕方がないので、あの時点においての限られた資源の中では最上の選択ということで、新井英一「果てなき航路」に、おやすみタイマーにてご登場願いました。

ゆうべの私の身体は、伍佰様を欲しませんでした。ま、私のうー様情報は、2004年時点で止まってしまっているのがいけないのかもしれませんが。

2011年11月12日土曜日

ツボあるいは琴線(その2)

ツボあるいは琴線というものが、どうも1ヶとか1本とかではないのでは・・・?というのは、もちろん私個人の話である。そういう人が他においでであるかどうか、今現在は調査考察してるヒマないのでおいときます。だけど。

ツボあるいは琴線というものを、1ヶとか1本とかしか持っていない人はさいわいなるかな。複数持っているかもしれないが、今生で一回、1つだけをどーんとジャストミートで打たれる機会を持ち、それきり充足する人はさいわいなるかな。もしくは、複数持っているのだが、1つだけを打たれ、そのまま生涯打たれたままの人はさいわいなるかな。

「一の糸」の茜のことを言ってます。

2011年11月10日木曜日

少々落ち着いたようです

一時は一体どうなるかと思ってましたけども。身も世もあらぬ状態から、ちょっと落ち着いてきたようです。で、「浪人情歌」「一生最愛的人」「輿妳到永久」の3曲を物狂おしく愛す(特に前2曲)という状態をかろうじて脱し、もちっと気楽に他の曲を聴いてみ始めた。余裕ができたということなのね。

ツボあるいは琴線(その1)

一曲の歌を、いや別に歌だけじゃなくて小説でも映画でも「男(!爆!)」そのものでも、なんでもいいのだけれど、ものすごく、すごく気に入るという状態は、おそらく誰しも覚えがあることでしょう。それを、

いやあ、(私の)ツボなのよーーー{とか、ツボに嵌まっちゃってえ等々}であるとか

(わたくしのココロの)琴線に触れちゃいましたーーー

などと表現したりするかと思います。なんかあまりに陳腐で泣けますが、他のもっとよい表現を思いつかないところがアレですね。思いつくぐらいなら、ツボってる方じゃなくてツボらせる側、つまりは自分の方が表現者の側に立っていることでありましょうから、ま、当たり前か。

私、このたびの騒動(=突然炎のやうに嵐のやうに伍佰様に打たれてしまいました)で初めて思ったのですが、そういったツボあるいは琴線のたぐいは、実は1ヶとか1本とかじゃないんじゃないのかなもしかして。なんというのか、多重構造?になってんの。

一所懸命考えてるんだけど、うまい具合なモデル提示するのはなかなかに難しいものですね。たとえば、人体は、この私の身体というものは、ある種の「管」のようなもので、それはどういう種類の管であるのかはまあ諸説あり得るとは思うんだけど。頭のてっぺんからつま先をそれと考えるのか、はたまた口(あなたとすっかり同化したおんなじ物を出力したいという、その口である)に始まり、尻子玉を抜き取られるにあたって使用されるところの開口部(爆)、もしくは私は生物学上の女であるので、隣接するドコヤラかもしれないけども。

いまのところは、そっちではなくて敢えて尻子玉の方でもって語ってきていますが、それにも一応は意味があったりする。そのうち語りましょう。


つづく。あーむずかしい。

2011年11月7日月曜日

ひょんなことから

迪克牛仔さんという人を発見。この人のお名前がタイトルとなったページ(管理人:踏台さん)が存在するので、??とお思いの方は検索なさるとよろしいでしょう。

同サイトによりますと、なんかよくわかんないが、まあ中華圏の歌手であるらしい。そしてカバーをものすごくたくさん歌っておいでであるらしい・・・って、なにやら臭いますな?一応念のため、ディスコグラフィーをチェックしてみますと、え、ええええええええーっ?!なにすんだよおおおおお!

浪人情歌

とか書いてあるではないか!なーにすんだよお、触んな、しっしっ。

しかし、これまた一応Youtube で味見をしてみますと、アラ驚いた。なによ、相当程度イケているじゃあないのよ。だけどね。もしこの彼のバージョンで初めて「浪人情歌」に出会っていたとしたら、へーかっけぇー(=格好よろし)ぐらいで済んでたと思いますよ。いやこの先生はとてつもなくたいしたもんだよ?と思い、CD の一枚も入手しようと思ったかもしれない。でも、そこで止まるんだろうなあ。なんというか、私的世界における新井英一さんあたりの地位。

そこへ持ってきて、なぜ伍佰様であるとこうなっちゃうのか。なんでかわかんないけどね、解明していって、可能な限り言語化してみたいな。

なんてことを思って、こんなブログ書いてみたんですよ。まーどなた様もお読みではないと思いますけど。ふふ。

2011年11月6日日曜日

拝見し終わりました

「ドリフト」です。ゆうべがんばったけど33分あたりで挫折し、今朝は朝もはよから寸暇を惜しんで(爆)1時間27分57秒のとこまで見といたんだ(爆)。

もーだめだー。うー様、伍佰様、あなた様ったらかっこよすぎです!

もうすでに存在しないはずの私の尻子玉が、実はなんらかの事情により一度生えかわっていたのであったらしいのに、つれないあなた様のその手によって、いまひとたび抜き取られてしまったかのやうな心地と云ふものが、もしも今生に存在するとするならば、わたくしが生きておりますこの刻々がそれででもあろうかよというやうな、そんな気がいたしまする・・・。嗚呼。

2011年11月5日土曜日

挪威的森林

忘れるとこだった・・・。

村上春樹さんという先生は、私はどうもダメなんだなー。彼の作品がいかにどうすばらしいのかあるいはすばらしくないのか、文学的価値の如何など{だいたいにおいて、ブンガクだのブンガク的だのという用語からしてそもそも嫌いではあるが}、まあ私ごときものが判断することでもないので、私には理解できないものなのですということに。ごくごく卑小な存在たるわたくしではありますが、とりあえずこの私の琴線には一向に触れてくれません。っても、1ヶか2ヶ読んだ、あるいは途中で挫折したぐらいなもんで、ほぼ食わず嫌いです。

しかし。おお、うー様が大層のことご愛読なさっておいでのようではありませんか。うーんうーん。そして「挪威的森林」という曲がありますが、私は

おおこれはきっと、根底にエコロジーの観念の流れる、森林を自然を愛する歌なのね?あるいはおびやかされつつある森林に自然に世の、あるいは人の心の無常を謳い上げるお歌なのね?

とか想像してました(激爆)。まだ聴きもせず、また歌詞の字面すら見ず、Youtube 上のタイトルだけ見てそう思ってたんです。

えええええーっ、の、ノルウェーの森、だったのおおお???(←早く言ってください。哭。)

まあ依然として字面すら見てないんですが。目下、他の数曲のピンイン振りに疲弊しきっておるのです。ま、私の無茶な想像がいかように裏切られるのであるか、乞うご期待というところですな。あ、誰も期待してない?

と、いうことで。本日、某ショッピングセンターに立ち寄ったので、非常にとり急ぎ上下巻を購入して参りました。おべんきゃうさせていただきます。気が進まないけど。そうだなあ、これ読み終わってから、うー様の歌詞を味わってみるという順番にしてみましょうか。

うふ、買っちゃった!

はい、「ドリフト」(「順風逆流」、"Time and Tide")のDVD でございます。本当は、非常にみー的はー的である私としては、「求婚事務所」の方がよかったんだけど、貧乏だから(涙)。

ニコラス・ツェーさんという方の存在を、実に初めて認識いたしましたがね、私のカワエエおよびうつくしいの両センサー共に反応いたしませんでしたので、このDVD を鑑賞するのはすごーくかったるい。開始30分ぐらいのところで挫折しました。もー、アンタ引っ込んで、うー様ばっかり出してよおっ。全編早送りで、うー様登場シーンのみを取り出し・一時停止し・眺める・ヨダレ垂らす・・・というのもあんまりなので、ええのちほど勉強さしていただきましょう。

常態の人間として、かなりの長時間しゃべったり存在したりしているうー様のお姿を拝見(拝観)するのは、いや初めてのことなんですよね。ドラマなので作り物と言っちゃあ作り物で、常態と言ってしまうと語弊があるがね。Youtube 上において、ライブの帝王をなさっていない状態のうー様、はじめてお目にかかります。

吐血~(???)

と、吐血なさったのですか、お加減がお悪いのですかああああ?!

・・・って、でもにょろん(=”~”)が、ついているわよね・・・・・・。あなた様のおっしゃることのわからない悲しさ。鋭意努力はして参る所存ではおりますものの(悲)。

2011年11月3日木曜日

歌いたい

ある曲がものすごく好きである場合、どうしても歌いたい。なぜか歌いたい。同一化したいんだな、きっと。同化して同化して、おんなじ物を自分の体内から出したい。おんなじ物に自分がなってしまいたい。あなたの歌声と全く同じ物を、私の身体から出したい。なぜなんだろう。

そういう曲は、好きでありかつ同一化したさの程度に差はあれども、いくつかある。しばらく気が触れでもしたかのようにがんばるんだけど、所詮は土台無理というもの。おのおのが、それぞれの実力を持った歌手なわけだからというはるか以前に、私はその本人たちじゃないという、実にアホらしいほど明白な理由による。

で、挫折して、フンガーっっっ!!!てヒス起こすんだけど。

2011年11月2日水曜日

はじめてのピンイン

買いたてほやほやの字引を駆使し、「一生最愛的人」にピンインを振り終わりましたー!初字引、初ピンイン振りのミッションクリアーであーる。

・・・ねえこれって、とてつもなく大変な作業じゃありませんか?身も世もあらぬほどお慕いしてるんでもなきゃあ、けっ、やってられっかよこんなことっ。って、めんどくさい作業であることだけが判明したため、学習意欲向上どころか、伍佰様への愛に関係ない文脈(つまりは純粋な学習)においては、始める前からやんなっちゃってる(で、あろうことが十二分に予想される)という、非常にまずいことになっていたりして。

まあ、めんどくさかったのは、私のやり方がよくないあんど、こういう作業に必要な基礎体(学)力があまりにも不足していたからでもあるでしょう。

繁体字・簡体字にも泣かされました。そう、普通に売ってる中日辞典というのは、見出し語が簡体字なんですよね。このこれが一体どうやったらこれになるわけー?!てな事件が続出。

そして、読める字があまりにも少ないため、日本語の音訓索引に頼りっきりにならざるを得なかったわけですが、歌詞の中の繁体字が日本語内に流通してない字であった場合には完全にお手上げになるわけです。というか相原先生、私、つい自分を責めてばかりいましたけど、「這う」てのは通常の日本語の範疇に属すると思います、音訓索引に載せてくださらないとは何事ですか?

おまけにこの「這」ってやつが、「這」の字が・・・・・・

zhè (ええと、簡体字入力できない環境ですいません。ピンインも実は入力できないんだけど、この字に関してはうひひおふらんす語を流用可能)とおんなじもんだったなんて、簡体字のバカヤロー(泣)。

衝動買いしてきました

いや、字引持ってなかったんですよ(笑)。明明とクロの話をちんたら勉強してる分には、別に必要も感じなかったし。

でもこの数日来、ちびっと物慾を覚えつつあったんです。それは非常に単純に、ええひとえに、


「一生最愛的人」のピンインつき歌詞が見つからないではないかあああ!

という理由からでございます・・・。

ついでに言うと、パソコンで中国語を入力できる環境にもありませんの。いーわんにぇんって打ちたかったら、いち、(はなむらまんげつの)まん、ねん、って打ってます。あとは、あちこちの、たとえばYoutube とかをいちいち開いて、コピペして、と。うー様のお名前などは、コピーしたのを強引にIMEに覚えさせるという姑息な手段を、おとといぐらいにやっと思いついたので、飛躍的にべんりになりましたー。って、ばっかみたい・・・。

そして本日突然ですが、字引ひとつ購入して参りました。貧乏ですが、おおお図書カードなんて持ってたのを思い出したので、ほんの千いくらかで済んだのです。じゃなかったらとーってもじゃないが買えないお値段でした(泣)。

これをもって、なんというか新しい時代に突入することとなります。そう、だって今まで私はうー様のお歌をば、『万葉集方式』でもって鑑賞していたわけですから。字義語義など一切調べない。文脈理解しようとしない。音を口の中で転がしてみて、気に入ったならそれでよい。取れない構文も完全無視、字面だけ見て、自分に理解できた(と思われる)ものを理解できた分だけで、好き勝手な自分的文脈に強引にひきつけて解釈し、自己完結世界内で陶酔する。天上天下唯我独尊、なんか文句ある?というのが、かの有名な『万葉集方式』でございます。へっ、所詮は日本語じゃん?とか舐めてかかったと。そういうのをね、若い頃、高校生のときにやってたの。

別にそう悪くもなかったと思いますよ。これだけで、私は国語だけ偏差値が特Aレベルになっちゃったりしたんだからー。国語古文だけでは国家公務員への道は開けませんでしたけどね。

しかしこのたびは、ターゲットは外国語ですから、さすがにちょっと無理があろうかと。

いやそれにとどまらず、身も世もあらぬほどお慕い申し上げているわけなのですから、うー様の仰ることを真剣に理解すべきでありましょう、ってこと。

2011年11月1日火曜日

伍佰様事始(その6でさいご)

貧乏な私は、まあいろいろと葛藤はしつつも、10月25日に「愛你伍佰年」(台湾版)を注文。普通アマゾンさんからは、注文ありがとねに始まって、準備できたわよだの発送完了したわよんだのと、うるさくおしらせをもらえると思ってたのになしのつぶてであったので、気を揉みましたけどもね、10月28日無事入手。この日をもって、et ma route est déjà tracée, mourir d'aimer...(Aznavour, Mourir d'aimer).

実はまだ全然聴き込んでないんです。いくばくかの曲を、ささっとチェック。非常に残念なことに、「一萬年」はあの同じライブバージョンのようです。本当は、うー様が切々と歌い上げてるバージョンを聞いてみたかったなあ。どのCD 買ったらよろしいのか情報お願いします。オカネ貯めます。

恋をするならあいちゅくバナナ~(註)にはぶっ飛びましたな。橋幸夫先生かよお。え?平尾先生も、三橋先生も?うー様ったら、日本の民謡あるいは新民謡ぐらいなものも楽々とこなされるのであろうことが察せられますな。歌わせてみたーい。秩父音頭とかどうよ?

それ以来、「浪人情歌」と「一生最愛的人」を交互にエンドレスで、夜も日もなく聴いています。なぜ交互にかは、そのうち語りましょう。「浪人情歌」は、聴けば聴くほど肺腑あるいはかつて私の尻子玉があったあたり(伍佰様に抜き取られたので現在は空虚)に沁みます。心に、なんて言うと嘘臭いです。なんかもっともっと身体的なものの分量が多くて、つまりは心だけの場合よりももっとずっとトータルな感じであるから。この感覚をうまく表現する日本語を持たない自分が歯痒い。

「一生最愛的人」の方も、実は字面が気に入ったからというだけの理由で選んだのですが、大成功ですね。自分の嗅覚(いや字面見てんだから視覚?)に自信持っちゃうわん(爆)。

CD を手元に置いて、落ち着いて好きなだけ聴いてみることができるようになり、あの晩の偶然のクリックによって受けた電撃的「打たれ」の感覚は間違っていなかったどころか、ああやっと出会えましたねあなたに。ということが決定的に確認されましたという、2011年10月28日という日はそういう日になりました。


このシリーズおわり


(註)橋幸夫先生の「恋をするなら」は、私の血縁の者が幼児である頃の大ヒット曲であり、

こーいを~しゅるうならあ~あいちゅくばーななぁ~

と、回らぬ舌で歌い踊っておったものであるよ・・・というほのぼのエピソードがね、家庭内限定で流布しておるのです。覚えてもいない本人は、言われて非常に嫌がっているわ、あいちゅくバナナのキーワードに反応する人間は、おそらくこの世で5人を超えることはないであろうという。はは。

いまさらですが、はじめまして

ええもう、ちょっとコーフンの度が過ぎておりましたものですから。

日本人です。女です。http://jutorikottouiknit.blogspot.com/の方で、ヘボだけど大好きな編物についても語ったりしています。ずっと放置してますけど、ぽつりぽつり編んではいます。年の頃なら妙齢(ミョーな年齢)に達しておりますおばちゃんです。おふらんす語の人です。おふらんすには足掛け10年ほど滞在しました。他に思いつかないので、こちらでもとりあえず寿鳥骨董(じゅとりこっとう)と名乗らせていただきたいと思います。

ごくごく最近、伍佰様に出会い、腑抜けにされました。伍迷のみなさま、新参者ですよろしくお願いします。

このブログの使い方がよくわかんないです(汗)。自己紹介したりするようなスペースがありやなしや見当たらないし、カテゴリー分けなどができるや否やもわからないので、まあこんなところにこんなことを書いてみました。

伍佰様事始(その5)

もう、「浪人情歌」が好きすぎて、地に足着かず身の置き所もない思いでいます。昼も夜も。寝ても覚めても。

とある一曲を、ここまで熱狂的に愛するというのは、おそらく我が生涯でも未曾有のことだと思います。・・・って、ついこの9月ぐらいまでFaudel を熱愛していたどの口がそういうことを言うか?!と、お天道様は仰せられるやもしれないが。

でも多分ですけどね、熱愛のレベルが全然違うという気がします。まあ所詮は人の恋情などというものはよくわかんないし、全然なんらのアテにもなんないよ。On dit n'importe quoi quand on est amoureux (Aznavour, Nous irons à Vérone) というのが事柄の性質というもんです。毎回そう思うのさ。最新の戀こそが、生涯最大最強そして最後のだって。

この先のことは、そういうわけでわかりませんけど、今現在は、ここまで愛したことは今まで一度もありませんでしたと言い切っていいと思われるレベルです。老いらく(ほぼ)の初戀状態だな。

一所懸命冷静に考えてみようとしますと、「浪人情歌」および伍佰様に身も世もあらぬ戀を覚えるというこの状態は、どうも一足飛びにやってきたというわけでもない。入口はすでに申しましたが「痞子英雄」だもん。へーはーほーと熱狂しつつ視聴していますと、異様な事態に気がついた。

「どこ行くの?」「だから・・・」「だからなんだってんだよ?」「はいわかりました」「俺、先に帰るわ」等の、片言たちがキャッチできるではないですか!長きに渡る放置期間を除いたら、完全独学期間ほんの数ヶ月の、相原茂「基礎から学べる中国語」の第30課の手前あたりでずうっと停滞しているこのわたくしに、ですよ?

おふらんす語の時はどうだったか全然覚えていない。まあ時代も違いますからね。各種メディアがこんなに手軽に大量に手に入るわけではなかったので、主にピアフとダミアにアズナブールの「素読」をしていましたから。もちろん音も入れるんだけど、とにかく大量の文字情報を取り込んで綴り字を音声化→身体化するというのをやっていた。その効き目のようなものを体感した(あるいは気がついた)のは、ずいぶんあとになってからという印象がある。正確に比較する方法があったらおもしろかろうと思うけど、残念ですね。

いやもう、大変な非常異常事態と言わざるを得ない。だけど、あれっ?台湾の中国語というのは台湾華語とかいって、大陸のぷうとんほあとは全然違うもの、だと思い込んでましたけど?もしかしてあんまり違わなかったりするの?ということは、これぞ探し求めていた学習動機喚起の、とっかかりの決定版というやつなの?

検索。DVD Box それもちゃんと日本版が売ってますね。言語のところを見ると、おおどういうことだ、北京語って書いてあるではないですか。これ、台湾作品だよね、中共製じゃないよね?一体どういうことかよくわかんない・・・。

検索。台湾の言語事情については、我が不明のほどを深く深く恥じ入り反省し、のちほど詳しく勉強させていただくことにしましょう。だって今ほら、身も世もあらぬ戀に身を焦がしてる最中なので、なーにも手につかないのですものおほほ。

と、いうことはですよ?「痞子」をどどーんと購入したらいいんじゃないの。ついでにサントラCD もつけてねえ。しかし、高すぎるーーー!はっきり言って支払い不能です。そして分量が膨大すぎ、かつ登場人物の誰ひとりに対して真の愛着を持ってないというのは、学習教材としてどうなのよ?とも懸念される。いやこの際だから、映画一本だけ、しかもこの作品における周さんは相当程度カワエエので、あるいは多少感情移入しやすそうである、少なくとも主題歌は非常に気に入ったので「一萬年」を、サントラCD とセットで購入するというほうが現実的か?

・・・え?映画の方、日本版がまだ出てない?

ちょっとお、もう。と、いろんなものをアマゾンのカートに入れたり出してみたり(預金残高眺めたり)と、ぐちゃぐちゃしている合間に周さんの「一萬年」をYoutube で視聴しつつ、「無賴正義」もチョと歌ったり、かつ手っ取り早く小銭を稼ぐ方策がどっかに転がってはいませんでしょうかあ?と星空に叫んだりしてる、そんな時だったの。「浪人情歌」に運命のクリックをしたのは。そんときはまだ、

あ、とてつもないものに出会った!

という衝撃というだけのことでした。これはまあ、私が通常「打たれる」と呼んでいるところの、ものすごく好きな曲に出会った時の状態を超えてもいなかったと思う。「愛你伍佰年」を急ぎ注文に踏み切ったというのは、そう、すぐに踏み切らない「打たれ」というのもあるわけだから、衝撃がそれだけ強かったのかどうかもよくわからない。中国語学習やら、「痞子」に始まる一連の事態の仕上げにやってきたからなのか、はたまた3枚組とは思えない、アホのようなお買得価格だったからなのか。


つづく