2011年11月10日木曜日

ツボあるいは琴線(その1)

一曲の歌を、いや別に歌だけじゃなくて小説でも映画でも「男(!爆!)」そのものでも、なんでもいいのだけれど、ものすごく、すごく気に入るという状態は、おそらく誰しも覚えがあることでしょう。それを、

いやあ、(私の)ツボなのよーーー{とか、ツボに嵌まっちゃってえ等々}であるとか

(わたくしのココロの)琴線に触れちゃいましたーーー

などと表現したりするかと思います。なんかあまりに陳腐で泣けますが、他のもっとよい表現を思いつかないところがアレですね。思いつくぐらいなら、ツボってる方じゃなくてツボらせる側、つまりは自分の方が表現者の側に立っていることでありましょうから、ま、当たり前か。

私、このたびの騒動(=突然炎のやうに嵐のやうに伍佰様に打たれてしまいました)で初めて思ったのですが、そういったツボあるいは琴線のたぐいは、実は1ヶとか1本とかじゃないんじゃないのかなもしかして。なんというのか、多重構造?になってんの。

一所懸命考えてるんだけど、うまい具合なモデル提示するのはなかなかに難しいものですね。たとえば、人体は、この私の身体というものは、ある種の「管」のようなもので、それはどういう種類の管であるのかはまあ諸説あり得るとは思うんだけど。頭のてっぺんからつま先をそれと考えるのか、はたまた口(あなたとすっかり同化したおんなじ物を出力したいという、その口である)に始まり、尻子玉を抜き取られるにあたって使用されるところの開口部(爆)、もしくは私は生物学上の女であるので、隣接するドコヤラかもしれないけども。

いまのところは、そっちではなくて敢えて尻子玉の方でもって語ってきていますが、それにも一応は意味があったりする。そのうち語りましょう。


つづく。あーむずかしい。

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