明日からまた4連勤。無事の生還を目指すのみだわ。中国語のお勉強は全くお留守になっている。
広い意味での「中華系」(というか、英語で Chinese という場合と、日本語で中華系という場合とではなんだか意味が違ってくるような気がしてしまう。が、とりあえず適当な表現が見当たらないので)の人々を、
同文同種
とか、業界では称したりとかするようでございます。不勉強で、それがある普遍的概念であるのか、またはなんらかの「体制」側な人がイデオロギーとしてそう言ってるのかどうかすら知らないけども。でもまあほら、私の知る限りにおいては少なくとも、北京官話だかぷーとんふあだかも、台語も、上海語も広東語も、我々が見るところの「漢文」ですわね。よく知らんけども、発音・文法構造などに違いは少々だの多々だのあれども、表意文字としての漢字を使用して書き表している。らしい。のであろう、多分。
ゆえに、世の中にどれほど膨大なものか知らんけども、大量の「見た目漢文!」な文書が、文書として残らず一瞬にして流れ去るテレビのテロップみたいなものも含めて、まあまあなんとも大量な文字情報が存在しているわけだね。そこで、物知らずであるところのこの私のそぼくなそぼくなぎもん。
膨大な膨大な、漢字文化を共有している人々は、「見た目漢文」である文字情報を目にした際になにをどのように理解しているのだろう?ええと、簡体字・繁体字の対立はとりあえずないものとして考察する。今から70年ぐらい以上前の記述物だとするね。たとえば、ばりっばりのインテリ読書人の台語話者で北京官話の知識が一切全くない人というものが存在しうるかどうかも知らないけども、前者にも後者にもなんか「中華系」で任意の言語名を代入して考えてください。
で、そのような状況において、その人物がなんらかの記述物を前にしたとする。でそれが、自分の言語で記述されたものであるかないか、どうやって認識してるんでしょ?記述物のすべてに、「あーっとコレは上海語による記述物だかんね」とかそういうマークがついているとも考えにくいけど。
漢字の人でありさえすれば、本来の発音とは違うだけで問題なく読めちゃうとかいうことだったら、びっくらするけど羨ましいなあ。あるいは、あれれ、ナニこの変な構文は?この字の変な使い方は?とか思いつつ、我々にとっての「漢文方式」みたいに、自分の言語に引き付けて無理やりしかし大過なく解読できちゃったりするんだろうか???
なんてことを、すーすーりゃんりゃんで赤っ恥をかいたわたくしは考えたりしてるわけです。それにしても台語やりたいなあ。
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