2012年2月24日金曜日

やっぱり「伍佰年」に戻ったりして

「單程車票」ですが、今となっては相当程度よいなあと思うようになってはきました。でも「愛你伍佰年」に戻ると心底ほっとしたりして。

いや、私は元々の昔より変わらずに、濃いの重いのが好きなんじゃあああモンクあっか?とか、畳のヘリを毟りつつぶちぶち呟いておりましたけども、結構肝心な点を忘れていたのでした。そう、私が伍佰様御作品を鑑賞するにあたっては、チャンネルがひとつ欠落していたんだった。

伍佰様は(ほぼ)器楽曲♥

なのだった(悲)。歌というものである以上、やはり言語情報は相当程度以上に重要であることは私なんぞが言うまでもないことであります。たとえば日本人歌手であった場合、他の何を差し置いてでも、まず言語情報にとらわれる(打たれる)というようなことが、日頃あまり意識もしないままに起こっているというケースはしょっちゅうたくさんあるんでしょ。多分。

しかし伍佰様の場合、たとえ字面によって「・・・・・・、みたいなことを仰っておいでなのであらふ?」程度に意味が半透明であろうと、必死で字引を引き読解しようと努めたのであろうと、歌詞の真髄には絶対に私の手は届かない。まあそれは伍佰様=中国語に限ったことではなくて、日本語以外の場合に共通なことなんだけれど。

それゆえ、わかりやすく濃いとか重いとか暗いとか激しいとかの曲調・発声・歌唱法・アレンジを求めてしまうわけなのねー。軽妙洒脱でオサレで微妙なパフォーマンスだとね、それに対する感受性というものがないわけですのでね。

ひとつよい点もあるけど。そう、日本語の場合、クサい歌詞というのが多々存在します。なにがどうなっている場合がクサいのかよくわかりませんが、激しくベタにべったべたなのにクサくはない、てな境地もいくらもありますね。で、現在の私の場合、伍佰様の歌詞がどれほど絶妙なものであるのかちーとも判断できないと同時に、たとえ万万が一にもクサかったりするようなことが、もしかしてあったとしてもぜんっぜんわかんないの。どんなに好きな歌い手さんでも、絶対に一度たりともクサいとかダサいとか間違ってるとかの日本語を歌わないなんてことはあり得ないので、伍佰様だってもしかしてもしかしたりするかもしれません。でも私にはわかんないの。これはしあわせなことです。

中国語の音の響きというのも、キレイだなーと思う場合もあるけどそうしょっちゅうではない。逆に日本語話者としてはものすごーく変変変に思える音もいっぱいある。台語も、ぎゃーとかひょんとか、なんか変な音ですよね。かわいいけど。私にとっての美しい音というわけでもない。おふらんす語だと、音の転がし具合が大層性に合う気がするけど。

これは一体なんだ?アルトサックスの持ってる音とか音程は好きじゃないのに、この奏者の出す独自の音による調べが大層好きとかそういうもん?いや、だいぶ違うような気がする。

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