中検を申し込もうかどうしよか、はは、依然として懊悩中。貧乏だからだよ。
もうずいぶん前から感じてはいたことだけど、日本語が大変にやばいです。特に漢字が。本邦において「中国語」(まあ普通話とイコールということにしておく)を学習するとは、実際上まーとにかく大陸、大陸一辺倒にならざるを得ないのであり、ひたすら簡体字の習得に努めるということになりますね。簡体字とは、我らが日本漢字(?)とは似て非なるものであったり、非なるくせに似ていたりおんなじだったりするのである。まあねえ、欧米語話者やらアラビア語話者やらその他の人々に比べたら、おそらく圧倒的に有利な立場にあるとは言えそうですけどね。
しかし。似て非なるものであったり非なるが似ていてくれたりするということには、副作用もあるんだよう。
成人しちゃってからであれば母語の構造は揺らがないなどという説もあったりなんかする、あるいはあったりしたようです。そのむかしむかし、成人しちゃってからおふらんす語を結構一所懸命修行した私でありました。でまあ、母語の構造は揺らがない、しかしそれに固執してると、おふらんす語の構造が入っていかない。よって、母語はちょっとやそっとでは揺らがないであろうので、母語をおふらんす語の構造の方へ強引に引き寄せて・・・つって、少なくとも初心者のうちはアタマから(ほぼ)逐語訳に徹底するっちうてね。それはでありますあるいっぽんのえんぴつ。
この説を信奉している人々に教わったので、これを真剣に実行しました。のちには自分自身もこの説を信奉し、大変大勢のひと様に施術しました。しかしね。
単音の発音レベルにおいては、母語は割合簡単に侵食を受けます。まあ母語なんで、大変無意識のうちに、「そうでしょー?」等の相槌を打った。つもり。だった。が、それは「そうで[ʃo]ー?」とかなあ、日本語には存在しない音が飛び出してんだよな無意識のうちに。
語彙レベルでもひでー話にすぐなってしまいます。うーうーうーと激しく懸命に考えても、当該単語が一向に思い出せず、苦吟の挙句に「蛇口の水!」とか言い放ち、その場にいた誰ひとりとして違和感を覚えぬままに終わる、とかね。いやソレ、水道水、ですし。
構文のレベルでは、とっさに例が思い浮かばないので、まあそんなひどいことにはなってなかったのかも?とか思いたいですけどね、自覚他覚ともに不可能だったのかもしれんしな。しかし多分、物の言い様というか構文の組み立て方などは、不可逆的影響を受けてしまってんでしょうね、結論から先に言おう言おうとするとかね。
ええ、昨今の私は字が書けません。そもそも、あれ?もしかすると、人生における手書き一辺倒の期間よりも、ワープロに始まる「字は書くものではなく打つもの」になってからの期間の方が長くなってしまったかもしれませんよ?!考えるだにおそろしい。
その、「字は打つもの」時代になってしばらくして、あー、字が書けなくなってるー!との自覚はもちろんあった。読みゃ読めるんだけどねえおほほ、とか言い訳して誤魔化した。んー、それでも結局私はオールドジェネレーションなんだと思うんだけど、言語に限らずお勉強ごとはなべて、手で書きまくることになる。タイピングしても一向にアタマには入りませんです。中国語学習時代に突入してから、B罫30枚の大学ノートの7冊目がもうじき終わります。サボってる期間も相当長く、かつ一日一日の分量は微々たるもんにしても、相当程度書きまくっておると言えましょう。それにまあ、中国語以外のものをほぼ全くと言えるほど書きませんのでねえ。
いちおうはねえ、気力体力が許す限り、新しい字を字引で引いたら、繁体字も書き添えてみたりとかもしてんです。伍佰様ぁーーー♥♥♥という、明々白々なる理由の他に、繁体字、少なくとも日本字と対応させないと全く意味が取れない字が多くて、理解も記憶も無理だからなんですけどね。
ゆうべね、「書き取りでしっかり身につく中級中国語」をやっていましたとも。
质量
てのが出てきましてね。ナンダーコレハ???ほー、質量、なんですね?しかも質量と書きつつ「品質」てな意味になったりすんですね?つーっと線を引っ張って、質量・品質と、これはまあ日本語でメモを書きつけようとして、
質
と、書こうとして、書こうとして・・・ゲシュタルト崩壊を起こしましたとさ。
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